Uさん誕生日会の真っ最中に   8月30日

第二回テニスと文化探訪記の二日目、椅子から立ち上がる動作でストロークが打てます。これを実践したのは前日の文化人達とのテニスをみてから。数々の賞を受賞し、各国首脳陣が集まるサミットにも提供したトップクラスの作り手が、この動きがギコチなかったならば、私は椅子は頼めません。と断言したから。30年にわたり、いろんなタイプの椅子を、意見を出し合って制作していただき、購入し、今も一緒に暮らしているからこそ、いつもの通り、気がついたことを発し、実行しただけなのです。テニスから感じたもので何かが生まれそう、これを感じることができることこそがアイワテニスの醍醐味なのです。
そういう訳で、コートに長椅子を運び、テニスの結びとした次第です。
12:00からは昼食、ひこま豚の豚丼、全員ペロリ、で、完食。そのあとはUさんの誕生会、ささやかですが、森の甘々娘とうもろこしのパウンドケーキ(大阪万博で人気と新聞掲載)と料理長が急遽仕上げたジェラードのプレートでハーッピバースデー。と、その時、携帯電話からNさんの大きな声。医師という立場から今回来れなかった「おもい」と、次回のスクール参加の予約という内容でしたが、ドンピシャのタイミングに一同大笑い。前回のNさんの住職とUさんへの切り込んだ言葉が今回「生きた」こと。今回起きた事、起こした事に、じっくりと聞き入って、いつも通りの元気な声で締め括り仕事に戻られました。
夜、全員から無事到着の連絡。長旅にもかかわらず、みんな愉しくってしょうがなかったようで、笑いと会話とちょっぴりの涙で車の中は盛り上がった様子。みんなでテニスのこと、スクールのこと、今後のこと、も、真剣に話すこともできたようです。これですべて終了。全身をOFFにした瞬間、ふと目に浮かんだ森の仙人に久方ぶりに連絡。これも直観、早速明日会うことに。その時の合間のひととき、シカやキツネをも狩るフクロウとジッと見つめ合う。その眼には森の王者として生き抜いてきた光が走ってました。(ツアーの写真にもちょっぴり掲載)

科学博物館とM田ビル  8月15日

友人の博物館長からの誘いもあり、家族で国立科学博物館の「氷河期展」を観覧。こと「絶滅動物の骨格」は、わたくし自身の生涯の探求テーマの一つでもあり、テニスの指導にも大きな成果を上げてきた分野です。
ホモサピエンスの一部であるクロマニョン人とネアンデルタール人の近代研究、肉食動物の生末には7時間にわたって没頭していました。
午後4時からは先日、記しました30年ぶりに会ったM田君のビルで事業展開をじっくり伺い、意見交換して帰宅したのは23時。とても濃い一日でした。
帰り際、角を曲がるまで手を振っていたM田君と長女(大学1年生 高校でチアリーディング世界チャンピオンとなった活発な娘さん)の笑顔が未だ消えない翌朝7:00のM田メール 
「先生 昨日はお越しいただき、ありがとうございました。いただいた金言を胸に刻み、引き続き精進してまいります。」
一番弟子からの挨拶で始まった今日。廻った先の行政の館に、お父様の本と書が大きく展示。これも巡りあわせか。じっくりと鑑賞させていただきました。

拡がる絆  8月8日

「テニスと文化探訪記」を開催し、未だ余韻が残るスクール後の談話中(最近、スクール後の談話が多くなってきました)、ツアー参加者のIさんが、月刊誌「住宅建築 8月号」を「皆様で回覧してください。」と、スタッフに。テニスも古刹も夕食も一緒だったUさんが特集されていると聞き、長年教育の世界にいたからか、8月24日に再会するまでに、今、Uさんがやっていることを皆さんに読んで、知っていただきたかったのでしょう。その場にいた大工さん2名は、早速、鋭いまなざしでページをめくっていました。
「この一冊」が、何人の心に留まるのか、どんな世界に届くのか、誰の人生を動かすのか、今の社会に大切なことが詰まっていた「一冊」が帰還した時、また、記します。

テニスまでのワクワクとトキメキ   7月17日

今週開催する「テニスツアー」に参加する方々の何気ない談話。
20年以上前の「つま恋」「軽井沢」ツアーに参加した時も、近くなるとワクワクが止まらず、タノシミで、タノシミで、しょうがなかったこと。
それだけで盛り上がった10分間。
耳に入ってきた感動、おもわず手のひらからジワジワと汗。
たまらずサービスを打ってみた。
今の時代、わたくしたちを救ってくれるのは「トキメキ」でしかないだろう。
テニスは優しく、あたたかいものです。テニスは人々を救えるはず。
最近入校のFさん。ボソリと一言。「土曜日が楽しみで、待ち遠しくて、たまりません。」
おとなしい彼の性格から湧き出た一言が、みんなに「トキメキ」を生んでくれます。
いよいよ、国際舞台となったセンターコートに集結します。
先ずは、おもいっきりサービスを打ち込みたい。16歳で立った時の「トキメキ」を掘り起こしながら。

純粋な「言葉」と、きれいな「涙」    7月11日

5日17:00。「ボレーじょうずでした。」「ありがとう。またいっしょにテニスやろうね。」ハイタッチ。
ジュニアクラスに大人の初級クラスを併設して二ヶ月あまり。ジュニアにはコーチとアシスタントの2名でじっくりと、大人クラスは経験者にもテニスの基礎を確認していただく「時」といたしました。ジュニアの父兄の参加もあり相乗効果を生んでいます。
今期のテーマ「ネットプレー」。ボレーのレッスンで無駄を削ぎ落したボレーの原型を実践していた時、少し早く終了したジュニアのみんなはしっかりと大人を見つめていました。みること、も、みられること、も、大切な「こと」です。無事終了しベンチで一休みする大人。ジュニアは一緒に参加したお母さんと会話。こんな光景が常ですが、この日は、水をゆったりと飲みながら息を整えているKさんのところにトコトコとやってきた小学3年生のTちゃん。何やらひとこと。そのあと汗を拭いているようなしぐさのKさん。よくみると涙を拭いている様子。
その時のTちゃんとKさんの会話全貌。
Tちゃん「ボレーじょうずでした。」「あ、ありがとう。またいっしょにテニスやろうね。」ハイタッチ。少しの「間」の後、「なんて純粋なんだろう。」のつぶやき・・・じわっとあふれ出るきれいな「涙」。しばらく止まらない涙。やさしくみつめる目と言の葉。
スクールの合間の幸せを感じる「ひととき」を中継してみました。

M田くんがやってきた。  7月1日

突然の電話「先生、明日か明後日に伺ってもよろしいでしょうか。」「OK。」30年ぶりの声に、身体の芯が反応してる様は、実に面白かった。家族、スタッフと再会した時の顔は、当時のまま。高校1年からテニススクール生となり大学までの7年間、みっちり、テニスのみならず文芸でも、いっしょに時を過ごしたことは、間違いなく彼の心身に刻まれていました。日本でも屈指のアナリストとしての活躍は聞いてましたが、君津の実家に戻り、東京に4階建てのビルの各階で、日本伝統文化を扱う経営者となっていました。前日の6月30日は神社で「大払いの儀」が行われた翌日ということもあり、信心深い彼との「縁」を感じます。それにしても、君津校のそばに居るとは。新たな何かが生まれる予感がした「ひととき」でした。
その日は、彼の出身、法政大学と「縁」があった一日でもありました。まず、お昼前、夏休みにテニスをやってみたいと現れた、おとなしい色白のお嬢さんが法政大学4年生、着物姿の佇まいがステキな法政大学の元総長の田中さんは文芸スタッフの唐桟織り齋藤の反物を三反お買い上げいただいた御縁とのこと。午後に農具につけるシリコンスプレーを買いに行ったホームセンターでは、はじける笑顔で声をかけてきた、さわやか中年、お寿司屋の大将、M八。彼も法政。しかも30年ぶり。(8月からテニス復帰とのこと)
30年ぶりにテニスを共にできる「御縁」に感謝です。


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